「一つ」

現在連載中の「ニーチェの超人思想に関する論考」の趣旨は、ニーチェ哲学を紹介することでも、解説することでもありません。

ニーチェの哲学をアップデートする必要がある、と思ったのが、私がこの論考をブログで発信しようと思った動機なのです。
なんせ、百年前の思想ですからね。現代はいわば、「ニーチェ後」の世界なのです。
いわば、ニーチェの超人思想が様々に解釈され、誤解され、試行錯誤され、実験されてきた世界が、現代社会であるといっても、過言ではありません。卑近なところでは、「イケイケの成功哲学」みたいな自己啓発本の精神的な支柱としてニーチェの超人思想が引用(誤用?悪用?)されるパターンが見られます。大きなところでは、世の支配者層が自分たちの行為を正当化する哲学として「超人思想」を用いていることでしょう。そんな「低次元」のことをニーチェが言っていたのではない、というのが私の考えですが、前回の記事で引用したOSHOも言っていたように、ニーチェは非常に重要な革新的なことを言ったのですが、それは「半分」であったと。それを完成させる「もう半分」が、なんとニーチェ自身が否定した「スピリチュアル」なんです。OSHOはそれを「彼(ニーチェ)は瞑想を知らなかった」と表現しておりますが。
その前回引用したOSHOの講和のタイトルが、" God Is Dead, Now Zen Is the Only Living Truth " なんですね。

「神は死んだ。禅が唯一の生きた真実である」OSHO

はからずも、今連載中のニーチェの記事でコメントをいただいているkeiさんから、以前のブログで「禅」に関係する非常に興味深い情報をいただき、やりとりをさせていただいたことがありました。

そして、私が今回自分のブログでニーチェを取り上げるきっかけになった直接のインスピレーションとは、「今この瞬間しかない。故に今この瞬間を、結果も期待も手放して最大限生きる。この瞬間を楽しむ。過去も未来も幻想である」「被害者というものはない。全て自分が体験することは自分に責任がある(現実は自分が創造している)」など、など、私が以前のブログで翻訳して紹介していた高次元存在からのメッセージと、ニーチェが「超人の生き方」として設定したものが、全く同じであることに気づいた、ということにあります。

つまり、百年前のニーチェ哲学、超人思想を知らなくとも(私がそうだったのですが)、それを完全に自分のものにするかどうかは別として、現代の「スピリチュアル」の教えを取り入れて実践する、してみる、ということは、知らず「超人」の生き方を実践していることになっていたと。このことを、私の読者の人たちにお伝えしたかったのです。


。。。さて、この連載は長距離マラソンになりそうな案配です。
今回は「末人と超人」についての考察を書こうと思ってましたが、これについてはもう一歩詰める必要がありますので、今回は「ニーチェ論考」はお休みさせていただきますが、「もりおん編集長」に、「毎週、ブログ、書きます」と約束してしまったので、今回は箸休めの記事で埋めさせていただきます。


あれは私が子供の頃、4歳か5歳か6歳の時、家族で車でどこかへお出かけした時のことです。日も暮れてすっかり夜になり、商店の灯りや信号の灯りが乱舞する国道を、雨の中、車はゆっくりと走っていました。
鮮明に今でも映像として記憶しているのですが、私は後部座席の窓際に座っていて、窓ガラスを伝う雨の雫の軌跡や、背景の景色を眺めながら、ある思索にふけっていました。その頃から、非常に思索的な子供だったのです。

「この景色、つまり「映像」とは、なんなのだろう」と。

これはつまり、「この「有」の世界とは、なんなのだろう」ということですね。
そこで私が考えたことは、こうでした。それは、お絵かきが好きな子供らしい答でした。

「神様が、描いてるんだな。この目の前の映像は。つまり神様が描く絵なんだ。世界は。今自分が見えている場面だけが世界ではなく、自分が見えてない後ろも、空も、海も、その中の魚も、僕自身も、僕自身の内臓も、地球の反対側の世界も、宇宙も、つまり全てを、この窓の雨の雫の軌跡も含めて、物凄いスピードで休みなく神様が描き続けてるんだ。神様すげえ」

荒唐無稽な想像ですが(というより、これ以上荒唐無稽なことはありませんが)、それが子供の私が考えた世界観、宇宙観でした。

。。。。ところが、これが必ずしも「荒唐無稽」ではない、いうなれば「真実」に非常に近い「いい線」をいっていたことを、後に知ったのです。

皆さんご存じの、バシャール。

バシャール先生のお話でこれまで私が一番ぶっ飛んだ話というのが、以下の「一つ」というお話です。
(引用元が今手元になく、一字一句正確にバシャール先生が言ったことそのままではなく、要約した内容になります)

「皆さんは、物質が原子で構成されていることをご存じかと思います。砂浜の砂粒一つも、莫大な数の原子で構成されていますが、だとすると、世界(宇宙)は、どれほどの数の原子が存在するのでしょう。それこそ計り知れない、無限数の原子が存在することになりますよね。ところが実は、その原子の数は「たった一つ」なんです。たった一つの原子が、想像を絶するスピードで動いて、全ての物質を構成しているのです」

にわかには信じがたい話ですが(というより、これ以上信じがたい話はありませんが)、バシャール先生がそうおっしゃるのだから、そうなのだと信じるしかありません(笑)

つまり、今この記事を書いている私の鼻先の細胞を構成する原子と、これをお読みになっているあなたの左足の薬指の細胞の原子は、「同じ」原子である、ということです。それどころか、トランプ大統領の一本の頭髪の先っちょも、今遠くに聞こえる走行音の車を運転している見知らぬ人が帰り着く我が家の子供が食べているハンバーグの肉片も、みな「同じ一つの原子」で構成されているということです。

「一体性」とは、理想論でも単なる観念でもなく、科学的な「事実」なんですね。

「事実」はぶっ飛びです。

「神」が存在しないからといって、「虚無主義」に陥っている暇はありません。

宇宙は、世界は、無限のぶっ飛びであふれています。


この記事へのコメント

kei
2019年09月02日 00:34
こんばんはー

インスピレーションでヘーゲルが浮かんだという話をしましたが、
それよりもっと前に、何度も浮かんだのがスピノザでした。
いくつかの本を読み引っ掛かったのが「汎神論」でした。
『あーこのことを伝えたかったのだ。』とわかったのは、それより以前に、禅に沿った生き方や「般若心経」に出逢っていたからです。
「般若心経」はいくつか解説本を読んでいましたが、心温まる絵本のおかげで「般若波羅蜜」の世界がはっきりと理解できた時でした。この絵本はおススメです。
ひとつの世界が理解できるのに最適な本だと思います。

0010さんのおっしゃるように「今この瞬間しかない。故に今この瞬間を、結果も期待も手放して最大限生きる。この瞬間を楽しむ。過去も未来も幻想である」この通りです。これしかありません。

そして最近は、さらに目の前に一見ネガティブに見える様なことを、ポジティブに変換させることが一瞬でできるようになりました。
目の前の一つ一つに対してそれの繰り返しです。

0010さんの記事はいつもそれを再確認するフィールドになっています。いつもありがとうございます。
0010
2019年09月02日 21:32
Keiさん

今wikipediaで見ましたが、唯一神或いは人格神は存在せず、「全てが神」「神が全て」という汎神論は、真実に非常に近い思想ですね。般若心経は以前から気になってました。一度ちゃんと読んでみなくては。

OSHOが言う「有神論と無神論の中間にあるのが良い」という場合の有神論は、この汎神論のことだと思います。

「人格神」の概念が生まれた背景についても、今後書くことになると思います。
勿論、「宇宙人」が絡んできます(笑)

ありがとうございます。