ニーチェの超人思想に関する論考 その5

バシャール情報では、来年2020年はいよいよ「分岐」が本格化して二極化が激しくなる年だということですが、2019年の10月現在、そこに向けて、地球の住民の誰も避けることも止めることもできない「エネルギーの大波」ないし「大風」が吹き荒れているような体感があります。その「現象界への現れ」ともいえる、文字通りの大風である今回の台風19号も、私の住む大阪はたいした被害はありませんでしたが、兄弟親戚などの血縁者のほぼ全員は東北や関東の東日本に住んでいますし、私のブログの読者の方にも関東の方々が多いので、他人事ではありませんでした。

世界の二極化というのは、「ヒトラーの予言」も含めてこれまで様々な媒体が言っていたことですが、ニーチェの「末人と超人」も、この「人類の二極化」を言い表した媒体の範疇に入ります。

二極化。それは貧富などの社会的、経済的格差のもはや不可逆的な二極化のことであったり、極端な気候や自然災害であったり、愛や性ですら豊富に恵まれる個人と、一生に一度もそうした体験すら持たない個人、というように「体験の機会」も極端に二極化する、などということが言われているわけですが、実はそうしたことなど、表面的などうでもいいこと、と言えば語弊がありますが、実際、極端に「物質世界」にフォーカスする「ロウアー」の視点からはそれは一大事かもしれませんが、肉体や物質を超えたより高い次元の「ハイアー」の視点からは、それは「着ている服の違い」ほどの表面的なことに過ぎません。私はそれより、今回の「二極化」というのは、よりシンプルに「覚醒への意志」をもつ者と持たない者の分離、ということが大きな意味を持つフェーズ(位相、局面)に入ることだと定義します。

しかし実は、そのことも「良い悪い」はないのです。度々バシャールのメッセージを引用しますが、たとえ「魂年齢」の高い「オールドソウル」であっても、そうした「人間としての転生回数の多い」言い換えれば「人間人生体験」の豊富なソウルであるが故に、トラウマが枷となってなかなか「目覚める」選択をしない者もあるのだということです。そしてそれも、別に「悪い」ことではないのだと。ただ、今回の大変化はやはり非常に大きなイベントであり、現在地球に転生しているソウルは、本人の気づきがまだないか完全に忘却しているかどうかは関係なく、「この時」を体験するために、これまで数えきれないほどの人生を惑星を変え(オリオン星系や火星であったり)時代を変え(アトランティスやムーであったり)転生してきて、今地球でその「仕上げ」をめでたく体験するために、今この人生を体験しているということです。

さて、ニーチェの生きた時代には、今この時代ほどの多くの「スピリチュアル」な情報がなかったので(今はかつてなかった、実際驚くべき時代なのです)、その「哲学」も仕方のないこととはいえ「片手落ち」であるのです。いや、ニーチェに限らず、もはや現代のどんな「哲学」でも、「人類創生(発祥)の真相」のことや、「人間」のことばかりではない全ての動植物や自然を含む「生命の実相」のことも考慮に入れた宇宙的規模の視点に基づくものでなければ、全て単なる「クソ」に過ぎません。人間中心の「思考」のお遊びができた牧歌的な時代は、既に終わって久しいのです。あーだこーだと「哲学」することができるのも、余剰時間とそれを持つことができるだけの経済的余裕を必要とする「贅沢」なことだったのです。

とはいえ、やはり人間は迷う生物です。他の動植物は、迷いません。
故に「哲学」や「宗教」に指針を求めるのも、やむを得なかったことではあります。そして、「哲学」がその最終目的とすることは「哲学の終焉」であり、「宗教」がその最終目的とするところは、「宗教の終焉」なのです。
同様に、「戦争」の最終目的は、「戦争の終焉」であるのです。このことを深く掘り下げると、いわゆる「陰謀論」や、多くの一般人には「絶対悪」だと思われている「闇の支配者層」に対する視点にも、また思いもよらなかった全く違った角度からの観点が生じることになります。ちなみに、「陰謀論」は、「あるかないか」の議論の次元の話ではありません。「陰謀」は、存在しています。きっぱり。このことは、また回をあらためて考証します。

さて、「戦争の最終目的は戦争の終焉である」と言いましたが、ユダヤの天才科学者であり平和主義者であるアルバート・アインシュタインが「E=mc2」を発見したおかげで「核爆弾」が発明され、核爆弾が発明されたおかげで、文字通り「最終戦争」という概念が起こり、地域的な小競り合いは未だ絶えないにせよ、「人類絶滅」が起こる「最終戦争(核戦争)」が回避されつづけている、という事実があります。
「そんな回りくどい道のりと、人類絶滅の可能性などという恐ろしい「ムチ」がなければ、世界から戦争がなくなって人類が平和に暮らすことはできないのか?」という疑問を持たれる方へ。はい、そんな回りくどい道のりと、人類絶滅の可能性という恐ろしい「ムチ」がなければ、世界から戦争がなくなって人類が平和に暮らす「黄金時代」への扉は開くことはないでしょう。これは、「人間」という複雑な存在の行動心理を忌憚なくなんの理想も加えずにちょっと考察すれば、納得されることと思います。
「そんな心許ない恐ろしいバランスの上に人間は存在している?」
はい、そんな心許ない恐ろしいバランスの上に、人間は存在しているのです。

だからこそ、少なくとも「今」存在している「奇跡」を祝福しましょう。
「今この瞬間」の苛烈さを存分に生き切りましょう。
するべきことは、自然災害を恐れることではなく、核戦争を恐れることではなく、「今この瞬間」を、「いつ自分が死ぬ時がきても悔いがない」ほどに生き切ることです。都度、生き切ることです。それはなにも、大層な行動や「どうせ死ぬならこれをやっちゃえ!」的な大ごとに今すぐ着手する、ということではありません。その思考は、「どうせ自分が滅びるなら、核ボタンを押して世界もろとも道ずれに滅ぼしちゃえ!」という思考と大差ありません。

「存在している」ことが既に「大ごと」であり「奇跡」なのですから、そこになにか特別な「行動」を加える必要すらないのです。
ということを、悟る、ということです。
最後の瞬間まで、「ありのままの素の自分」であり続ける、ということです。


。。。。あれえ!?
なんだか説教臭い「上から目線」のスピリチュアル談義になってるぞ?

「末人と超人」についての考察を掘り下げるつもりが、なにこれ(笑)

とはいえ、実は、何を書くか自分でもわからぬままに今回も執筆したのでしたし、とりあえず執筆し始めると、書くつもりはなかったことが自動書記のように書かれて、そういう場合は「上からの」メッセージであることが多いということをこれまでの体験上知っているので、今回もそういうものだと思って、どうか「忖度」していただければ幸いです。













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