ニーチェの超人思想に関する考察 その6


宇宙はバカでか過ぎて(というより、それ以上バカデカいものはないのですが)把握するのが非常に困難なのですが、そもそも把握しようとすること自体をそろそろ止める時がきています。宇宙は「無限」です。「無限」を「頭」で把握することは不可能なのです。

宇宙の始まりとかアンドロメダ銀河とかブラックホールとか太陽系、天王星、彗星、何光年、何億光年、云々と宇宙のことを研究したりしますが、ではそもそもその「宇宙」って「何」なのか、ということを考える人は少ないのではないでしょうか。
「では、そもそも宇宙って何なのか」
ある人には、この質問ないし命題自体、何を言っているのかわからない、かも知れません。文字通り、「宇宙って何?」というシンプルな命題なんですが、シンプルな命題過ぎて誰もそのことを考えない、言わない、ということなのでしょう。「盲点」な命題なんですね。

「人間(人体)は小宇宙」と言いますが、それは「比喩・例え」ではなく、「文字通り」人間は小宇宙なんです。
「小」宇宙、という表現は、あくまで「空を見上げた時に見る星々が広がる世界」、いわゆる私たちが言う「宇宙」のことですが、その「いわゆる宇宙」に比べて「小さな宇宙」、という意味で「(人間は)小宇宙」というわけですが、それは「この世界」での大きさの比較による表現であり、単に「(人間は)宇宙」そのものであるのです。宇宙である「人体」を形成しているのは個々の「細胞」ですが、その個々の細胞を形成しているのは「原子」、原子の世界は「(人間から見れば)小宇宙」。

はい、もうお分かりですね。
この、「存在の無限の連鎖」が真実なんです。
つまり、上記の命題、「では宇宙ってそもそも何?」の答えは、「よりマクロなレベルの存在の細胞を構成する原子世界である」、ということです。
ということは、私の体を構成している細胞の中の原子世界は、「よりミクロなレベルの存在が居住している宇宙である」、ということです。

これが、マクロのレベルの方に向けて無限に、同様にミクロのレベルの方に向けて無限に、どこまで行っても無限に、この「大宇宙と小宇宙の無限の連鎖」が、「宇宙」の真実なのです。

もしかしたら、この、私たちが見上げる「大宇宙」を「細胞の原子世界」として構成されている「よりマクロな存在」のことを、人間は無意識に「神」という概念でとらえているかも知れません。しかし、その存在は、人間とは限らず、犬かもしれないし、メダカかも知れないし、花かも知れないし、それどころか、有機物ですらなく、その世界の「石」「かもしれないのです。

しかし、まあ、それは「有機体」であるのでしょう。そう仮定して、さらにそれは私たちのような「人間」のような生命体であるとします。
その生命体は、どのように存在しているのでしょう。
その生命体(私たちのレベルの宇宙から見てよりマクロな存在)は、ある「惑星」の上に居住し、「地上」を歩き、酸素を呼吸し、エネルギー源を摂取し、「生活」していることでしょう。そして同じように、空を見上げて、「宇宙ってなんだろう」と思索しているかも知れません。
その「彼ら」が、ある文明の進歩段階に達して、「望遠鏡」や「顕微鏡」を発明し、「(彼らのレベルの)大宇宙」と「小宇宙(原子の世界)」の「類似」に気づき、、「もしかしたら、この小宇宙(原子の世界)にも、生命体が居住しているのではないか?」と思い至っているかも知れません。その、「彼ら」にとっての「小宇宙」に居住しているのが、私たち、ということです。
この連鎖が、「小」と「大」の方向に無限に続いているのです。

アインシュタインの相対性理論は、「時間は伸び縮みする」つまり「時間」は「絶対」ではなく「相対」的なものであることを発見したものですが、要するにそれは「時間というものはない」ということとイコールであるといえます。そして、この「相対性理論」は「観測者によって時間が変化する」メカニズムですが、これを上記の「存在の無限の連鎖」に敷衍ないし適用してみましょう。

「存在(宇宙)の無限の連鎖」の中における「時間」の概念をあらわすと、以下のようになります。

私たちが居住する世界(すなわち、このレベルの宇宙)にとっての「24時間」は、よりマクロなレベルの世界(すなわち、私たちの「宇宙(大宇宙)」を「小宇宙(原子レベルの世界)」として構成される世界)の住人にとっては、「一秒」、あるいはそれ以下かもしれません。

私たちを構成している世界(すなわち、原子の世界)に居住している、よりミクロなレベルの世界の住人にとっての「24時間」は、私たちにとっての「一秒」あるいはそれ以下かも知れません。

その「ミクロとマクロの時間の差」は、それ以上かも知れません。私達の個々の「一生」が百年だとすると、私たちが生まれて死ぬまでの長大な時間は、「よりマクロな存在」が「一歩」を歩く時間かも知れません。
同様に、私たちが生まれて死ぬまでの間に、「よりミクロな存在」の世界では、何百何千という文明が誕生しては消滅しているかも知れません。
。。。難解かも知れませんが、これが「宇宙」の真実なのです。

この、宇宙→原子→宇宙→原子→宇宙→原子→宇宙→原子→(以下無限。。。)と無限に連鎖する宇宙に、「始まり」はありません。
「始まり」がないので、「終わり」もないのです。

すなわち、それは「創造」されたものではありません。
そして勿論、「ビッグバン」で始まったものでもありません。
いうなれば、「在って在る」のです。
すなわち、「宇宙の創造主」は、存在しません。
すなわち、「創造主」たる「神」は、存在しません。

「創造」された(始まった)こともなければ、「終わる」こともない、「在って在る」もの、それが、「宇宙(世界)」なのです。

この宇宙観のどこにも、人格を持った超自然的、神秘的な「神」の存在する余地はありません。

「神は死んだ(神は存在しない)」言い換えれば「創造主は存在しない」

ニーチェの言ったことは、正しかったのです。

ただし、「神性」は存在します。

というより、「存在」自体が「神性」です。
ということは、「神性」しか存在していない、ということです。

言い換えれば、「全てが神」

ここまで敷衍できていれば、ニーチェも発狂せずに済んだのかもしれません。




この記事へのコメント

kei
2019年12月07日 12:44
こんにちは^^いつもありがとうございます。

全てが神。今ならとてもよくわかります。思考をいくら駆使しても難しいかも知れないとニーチェの例を挙げてもらって確信しました。

仏陀は自らの中にそれを見出し自身が亡くなる時、「何を縁にすれば良いのか」と嘆く弟子に「自灯明、法灯明」伝えた事はそれ自体素晴らしい教えだと思います。

よく0010さんがインスピレーションが湧いた(内なる声)と言われていましたが、
きっと思考を外した時なんでしょうね。
「神」自体、何を指してているのかひとりひとり違うので、共通の認識を持っていないと言葉にするのはとても難しいですね。それで、戦争も起きているのですから。

無意識に閃くこともあれば、意識的にそういう状態を作る様にもしています。
瞑想も良いでしょうし、時間が取れない人は、目前のことをただひたすらにやるのも良いでしょうし、私は歩く事で瞑想をしています。
0010
2019年12月08日 01:21
keiさん
こんばんは(^o^)
仏陀の自明灯のお話ありがとうございます。仏陀もそのようにおっしゃっておられたとは知りませんでした。まさに仏陀の言う通りなんです。

インスピレーションのことですけど、おっしゃる通り、「何も考えていない」時にふと、あるいはドカンと降りてくるものですね。あるいは「全然別のことを考えている時に」全くそれとは関係のないように見える別のインスピレーションがやって来ることも。これは、よく言われる「探し物を探している時は見つからない」現象と同じメカニズムなのでしょう。探し物を探している時は、「探し物を探している」、つまり「それがない」フィールドに居続けていることになるからなんです。探すのを止めて、その探し物のことすら忘れていたあるときに、ひょっこりそれが現れたりするんですね。思いがけない場所からだったり、何度も探してみたはずの場所からであったりする場足も。これも「考えない」ことの素晴らしい効果の例です。いずれにせよ、「感謝」に勝る特効薬、万能薬はないと言えるでしょう。「あっては感謝。なくとも感謝」の精神は最強です。お金も、恋人も、全てが同じメカニズムです。「あればそれを存分に楽しむ、しかし執着しない」。「無限」に終わりはなく、形の変化があるのみです。世界は終わりつつあるのではなく、始まりつつあるのです。ワクワクを継続していきましょう!
ありがとうございます。


kei
2019年12月08日 08:35
おはようございます^^

あっては感謝。なくとも感謝。
とても良い言葉ですね。

ひとは同じものを見ているようで、違うものをみているのだから
違う考えを持つのも当然と思うようになりました。

ゴミが落ちていたとして、それを嫌だと思うか、綺麗にして気持ちの良い状況を作りたいと思うか。一つの事象に対して二種類の感情に分かれると思います。後者を目前のこと全てに当てはめて日々暮らしています。

仏陀が最後に弟子に伝えた「自灯明」ですが
「自らを洲とし拠り所としなさい。」という意味なのですが、
もうこれに尽きると思っています。

私自身何度もそんな経験をしてきました。
苦しみながらも拓いた道や
培ってきたものは宝となりもう揺らぐことはありません。

薄皮一枚一枚を剥ぐように自分の中に分け入って行こうと思います。
0010
2019年12月08日 11:36
おはようございます☀

「人はそれぞれ同じようなものを見ているようです、違うものを見ている」
まさに、それそれ、それなんです!

目の前のゴミのお話ですけど、まさにバシャールが同じことを言ってるんです。
来年から激化して行くパラレルワールドの分岐に絡んで「自分はどのような世界にいきたいのか」の文脈で話されたことです。ここで重要なのは、「自分は」ということであり、「他人」は関係ない、ということなんですね。「目の前に落ちているゴミ」にかんしては私もkeiさんと同じスタンスなんです。
特に自宅や職場に於いてはそうです。外では、一々道端のゴミを気にしていてはキリがないので、「自分は捨てない」というポリシーです。喫煙者なので携帯吸い殻入れを常に携行していますが、これはあくまで「自分のポリシー、エチケット」であり、目の前で誰かがタバコの吸殻をポイと捨てたとしても、その他人の行動にフォーカスして非難がましい気持ちを持つことはありません。
これはニーチェの「君主道徳」と「奴隷道徳」にも関わることで、「私のエチケットは私が良い」からそうするのであって、他人を啓蒙するためのものではないからです。「自分軸」において確立している「良」を、他人に証明する必要がなく、他人の「良」が自分のそれと違っているのは当たり前だし問題ではない。これが「君主道徳」です。これが「奴隷道徳」においては、「自分の善」を他人に証明する必要と認知、評価を欲し、他人にもそれを押し拡げようとします。その精神が「他人軸(奴隷)」なんです。
仏陀の「自灯明」も、「自分軸」に言い換えて、間違いないと思います。

「薄皮一枚一枚を剥ぐように自分の中に分け入って行こうと思います。」
とても美しいワークです。日々、気付きの元で変化して、新しいヴァージョンの自分に脱皮して行くということですね。そのために地球に存在しています。

ありがとうございます。








ミモザ
2020年01月07日 10:52
2020 になりましたね。

どんなことを、感じていらっしゃいますでしょうか
0010
2020年01月07日 22:05
ミモザさん

こんばんは、コメントありがとうございます(^_^)
とりあえず、「スロー·アンド·ロー」というキーワードが出ています。
「目の前のことを、ゆっくり着実にこなしてゆく」
ということですね。この場合のキーは、「何も考えずに」ということです。
考える、ということは、「超意識」を受信しない、ということを意味します。
「考え」、シンキングというのは、全てことごとく「雑念」「幻想」なんです。
「超意識」は「今この瞬間」にジャストタイムリーの行動を自然にもたらします。

外の世界が騒がしく穏やかでなくなるほど、自分は「台風の目」の静謐さの中にある、ということを心がけるようにします。
それにはやはり、外部の何物にも揺るがされることのない「自分軸」が確立されている必要があります。
いや、「自分軸」は頑固で愚鈍な大木のような軸ではなく、むしろしなやかな竹、のような軸であるのが良いので、むしろ「なんにでも揺るがされる」軸であって良いかも知れません(笑)
風、突風(幻想)に逆らわず揺らぐからこそ、折れることのないしなやかな竹のような「自分軸」。
どんなに強烈な幻想に揺るがされようと、幻想は幻想、必ず過ぎ去ります。

で、2020年を迎えて私が感じているのは、「  」です(笑)

「  」。

あえて言葉にすれば、言葉がない、ということです(笑)
それは「呆れて言葉も出ない」とか「言葉もない感銘」とか「言語を絶するショック」とかいうものではなく、むしろそれらの正反対、「未知数を前にして、奇妙で静かにふつふつと流れるワクワク」
という感じです。「2020(フワフワ)」という感じでしょうか(笑)

ありがとうございます。
ミモザ
2020年01月08日 12:20
いつも、丁寧に返信してくださり
ありがとうございます。
kei
2020年01月10日 16:13
新年おめでとうございます。

目の前のことをひたすら打ち込むというのは、どうやら核のようですね。
0010さんが繰り返し仰っていた「全てよし」の言葉にもいつも励まされています。

何処をどう迷ったのか今年に入って道元の「正法眼蔵」に辿りつきました。
毎日少しずつ読み進めています。
読み応えがあって、全て腑に落ち、気づきだらけです。機会があれは是非。

(Mさんがツッコミ辛いようなので絡みやすい記事を^^)

今年もよろしくお願いします!
0010
2020年01月10日 23:42
Keiさん

こんばんは!おめでとうございます。

>Mさん(うふふさん)がツッコミ辛いようなので絡みやすい記事を

アハハ(^o^)、了解です。

>道元

正法眼蔵、せいほうがんぞう、と読んでしまいましたが「しょうぼうげんぞう」なのですね。お初ですが(keiさんからは、いつも私が知らなかった知識をいただき、ありがたいです)、これは非常に良さそうな感じですね。とりあえずネットで道元の言葉で「迷いの中に悟りあり、悟りの中に迷いあり」を見つけましたが、「まさに!」とピーンと来るものがありました。これは「光の中に一点の闇があり、闇の中に一点の光がある」ことを示す「陰陽太極図」と同様に、宇宙の道理の計り知れない妙、パラドックスを的確に言い表してます。道元、今後チェックしようと思います。

で、「禅」が地球上では最も進化したスピリチュアルの教えであると再認識するわけですが、「禅問答」は究極的に「 」の境地に導くための、ツール、方便であり得るものだと。
「 」無思考の、仏陀の境地。keiさんのおかげで道元を調べていて、さらに「不立文字」という、以前知っていて忘れていた言葉を再発見できたのも収穫でした。

「目の前のことにひたすら打ち込む」ということを知って心がけるようになったのは、oshoラジニーシの「行為から逃げる唯一の方法は、行為に没入することだ」という言葉を読んで「!」と目から鱗になってからでした。労働や日々の雑事が大っ嫌いなレイジーな若者だった私ですが、50を過ぎたおじさんになって日々過酷な肉体労働に従事してるのも、そのおかげです(笑)
私にとって肉体労働は、マインドを不活性にするアクティヴな瞑想になり得ています。同時に、社会における人間関係において、日々新たな気付きのワークが進むのです。
「生きる」ということ自体が、ワクワクするテーマです。
「(死なずに)生きてる」ってこと自体が.「凄い」ことなのだと。

ありがとうございます。







ミモザ
2020年02月10日 14:06
フラットアース説(地球平面説)が、
浮上して来ていますが、ご意見ありましたらお聞かせ下さい。

わたしの中では、「問答無用」がコタエです

問答自体いらないから、ネタはいらないよーという感じです。

参考にさせてもらいたいので、よろしくお願いします。

0010
2020年02月10日 19:11
ミモザさん

こんにちは。
今またフラットアース説浮上してますか(笑)。調べたら、これが「笑い事(ネタ)」ではなく、現代科学を脅かす勢力になりつつあるということで、フラットアーサーというのは「彼ら自身」はネタではなく「ガチ」のようなんですね(笑)
最初は「ネタ」だと思ってフラットアース説を知り及んだ者が、真面目であったり度の過ぎた不可知論者であるほど、「、、もしかしたら、地球は球体であるという常識だって、自分が実際に確認した事実ではないし、外部の情報や教育の受け売りに過ぎないのだから、地球が平面であるという主張だって否定できないのでは」という考えに及んで、フラットアーサーになるパターンが見られるようです。

これは若い世代に多いような気がするのですが、「常識を疑うのがイケてる」という、ある種のファッション感覚を動機としているのかも、なんて思います。単に「慣れ親しんだモノと違う」ことに斬新さを見いだし感銘を受けてしまうのです。
フラットアースな宇宙観というのは古代からあるものですが、科学の発達によって「神話」が否定され消滅してゆく流れに耐えられないマインドが、「宇宙は無限であり、「中心」は存在しない」という事実に必要以上に恐怖して、「地球中心説」イコール「フラットアース説」を支持するに及ぶのでしょう。
いずれにせよ、色んな「説」があって、面白いと楽しみましょう(笑)
2020年からは、それこそ「説」が百花繚乱になり、それぞれが「譲らない」という事態になるようですから。

実は、フラットアースについて、考察したことがあります。
いずれ記事にしましょう。